いまや、日本にサッカーのプロリーグがあるのは当たり前のことである。しかし、その「日常」がない時代もあった。
この「現在」をつくりあげた歴史を振り返ることは、「未来」を築くことにつながる。サッカージャーナリスト・大住良之が、Jリーグが日常になった過程を振り返る。
■30年間で唯一「消えた」クラブ
Jリーグがいかに「日本を覆う」ようになったか、2つの図を見てもらえれば明らかだ。プロ野球と比較してどうこう言うつもりはないが、プロ野球12球団の本拠地は1都1道1府8県。クラブの収益がプロ野球より1ケタ低く、選手の年俸がずっと少なくても、日本全国への広がりという面において、この30年間、Jリーグは日本という国と日本国民に受け入れられ、非常に大きな成功を収めてきた。
もうひとつすごいのは、この30年間で「消えた」クラブがわずか1つであることだ。クラブの消長は世界のどこにもある。まして日本はJリーグ誕生の直後から「平成の大不況」が10年間近く続き、クラブを支える企業(当初は多くが日本を代表する巨大企業だった)の状況も激変、クラブを支えきれなくなったところも少なくない。しかし自らクラブ経営ができなくなった企業も、責任をもって他の企業や団体にクラブの運営を受け継ぎ、クラブを生き残らせてきた。
■「企業の論理」が忘れていたもの
唯一消えたのは横浜フリューゲルスである。JSL時代の全日空を母体としてプロ化したクラブは、1998年秋に突然横浜マリノスとの合併を発表、実際には吸収される形で消滅した。そしてマリノスは「横浜F・マリノス」という名称になった。
この出来事は、Jリーグの30年間のなかで最も大きな出来事だったと、私は思っている。全日空と、マリノスを運営していた日産自動車は、よくある企業の合併のように軽く考えていた。Jリーグも、川淵チェアマンも、「企業の論理」を仕方のないものだと考えた。しかしフリューゲスルにもマリノスにもそれぞれに熱烈なサポーターがいて、自クラブに愛情を注ぎ、声援を送るだけでなく、同じ横浜のJリーグクラブとして強いライバル心をもっていた。両クラブとJリーグは、それを完全に忘れていた。
サッカー批評 1/9(日) 8:01
https://news.yahoo.co.jp/articles/c4eafd121dee016708b3094ecb0921de080a5fdc?page=1
フリューゲルスのサポーターが反発したのは当然だった。しかし同時に、マリノスのサポーターも、不倶戴天のライバルであるフリューゲルスのサポーターに強い共感をもち、フリューゲスルのサポーターの立場に立って強い反対を表明した。やがてフリューゲルス・サポーターに対する共感はJリーグの全クラブにサポーターに広がり、社会問題にまでなった。結局合併は強行されたが、Jリーグのクラブを運営する企業はこの事件から大きなものを学んだ。
「Jリーグのクラブはつぶしてはならない。つぶすことはできない―」
「企業の論理」だけで合併を決められた「フリューゲルス事件」は大きな悲劇だったが、その後のJリーグの発展を考えると、とても意味のある出来事だった。あのときJリーグのすべてのクラブのサポーターたちが力を合わせて戦ったことが、Jリーグを「百年構想」と「100クラブの夢」の実現に向けて前進させる大きな力になったのである。
ここらでいちど本格的に検証してほしいわ
サポだったフリューゲルスがマリノスと合体してJリーグに興味をなくし
ファンだったオリックスブルーウェーブが宿敵のバファローズと合併しプロ野球にも興味なくなったわ
当時スポンサー降りた企業よりチーム拾った企業の方が非難されるのを理不尽に思ったわ
税金乞食の税リーグは消滅すべき
サカ豚は日本から出て行けよ
コイズミ構文
遠藤
よく知らんが
過去に横浜FCを作る際に集めた金なんかを清算する絡みで、これをもってフリューゲルスとは関係なくなったので宜しくな!と奥寺が宣言してたはず。
楢崎正剛
山口素弘
他多数。遠藤保仁もフリューゲルスOB